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プロフィール


所持資格・所属団体

・柔道整復師
・鍼灸師
・あんまマッサージ指圧師
・JCCAベーシックインストラクター
・日本訪問マッサージ協会会員



生い立ち〜少年時代

母親の実家、広島県にて2880gで誕生。
「和やか」で人の痛みがわかるやさしい子になってほしいと願いを込めて「和馬」(うま年です)と名前を付けられました。


「公園デビューした時に女の子と間違えられるくらい可愛かったんやで」と母親は懐かしむように話しておりますが、今では面影もありません・・・(笑)

おかげさまで大きな病気・けがなどはなく、近所の公園で日が暮れるまで走り回って、泥だらけになって、常に膝に絆創膏を張っているような子供でした。


〜中学時代〜

2qの通学路を毎日、しかも坂道を延々自転車でぜぇぜぇ言いながら漕いでいた中学時代。入学当時は急いでも30分くらいかかっていた道のりが卒業時には20分を切るスピードを身に着けていました。

身体の変化を感じトレーニングや筋肉に少し興味を持ち始めたのもこのころから。


〜高校時代〜

トレーニング+筋肉+スポーツ=柔道

頭の中に浮かんできた この計算式にしたがって柔道部へ。

体験入部の時、初めて教えてもらった「背負い投げ」の感動は今でも覚えています。
相手の力を利用する「技」が何とも気持ちいいこと!すぐに魅了されました。(写真は顔が見えないほうが僕です。)

・・・今思えば、「柔道」を通して学んだ「身体の使い方」「重心の動かし方」が「無駄に力を入れない施術」の基礎になっているのだと感じます。



柔道の練習に打ち込む生活。
そんなとある日の試合でキツイ足の捻挫をしてしまいました。

痛みはあったものの、「やります!」と言いながら痛みを堪え、練習を続けました。


1週間2週間経ち痛みは引かず。
1か月、2か月経ってもまだまだ痛む。

そんな状態での練習である日、先輩の足が、僕の痛めている足首に・・
バチンッ!!

痛みで立っていられずに 相手の道着をつかんだままその場に崩れ落ちてしまいました。
「さすがに無理やで、病院行って来いよ!」
「すみません、そうします。」

結局、近所の整形外科へ。。
「柔道で足を捻ってしまって・・・」
「そうですか、レントゲンとりましょうか」と先生。
結果は・・・「骨に異常はないね」
「足に炎症があると思うからから少し安静にね。お大事に。」
と2袋のシップをもらいました。


その後も少し安静にするものの痛みは引かず・・・
母親の勧めで初めて近所の整骨院へ。

話をしながら10分くらい足をいじくりまわされ、電気をふくらはぎにあてられて15分。
電気が終わるとおもむろに先生が「立ってみて〜」と笑顔で言うので立ってみると
「あれ???」「めっちゃマシです!!!!!」
驚きました。
炎症があるから痛いはずなのに、2か月以上痛かったのに、よくわからないけど
・・・痛くない!!
「先生、ほんまにありがとうございます!」と言うと
「うん、また明日も見せてや〜」と言った院長先生。
次の日、朝起きるとほとんど痛みを感じない!すごいなぁ!なんて思いながら整骨院には行かず、部活へ行きました。
先生ごめんなさい(笑)


しかし整形外科での診察はなんだったのか?あのシップには意味があったのか?
という疑心と
触診や動かすことで痛みを取った手技の世界に興味が生まれました。



がむしゃらに勉強

関西医療学園専門学校へ入学し、同時に
柔道部顧問の紹介で堺では老舗の整骨院で修業をさせてもらうことに。

院長先生の指導の下、少しずつ患者さんの治療をさせてもらいだした頃。

ある患者さん(Kさん)を担当することに。
当時の拙い施術でも「いつもありがとね〜」と言ってくださり、いつも「キャラメル」をスタッフにみんなにくれるような方でした。

そんないつもニコニコなKさんが「腰が痛いから最近買い物に行きたくなくなってきてねぇ。」と言った弱々しい顔つきを見てると僕も悲しくなってきて
「腰の痛みを取ってあげたい」「また笑顔のキャラメルおばあちゃんに戻ってほしい」と思い、悩みました。。

そのためにも体のことを詳しく知らなければ!
と、解剖学や運動学、内科疾患や整形外科学の本をひたすら読み、学校で、家で、整骨院で、ただひたすら身体の構造を学ぶことに心身を注ぎました。

Kさんの腰痛の原因が推測できるようになり、その対処法もわかるようになってきた頃には腰痛が治まり「昨日、買い物行っても痛くなかったのよ!ほんまありがとうね〜!」
と言ってもらえた時には、鳥肌が立つほど嬉しかったけれど、いい恰好して「任せてくださいよ〜」なんて照れ隠し。

それからも、他の患者さんの症状にも対応できるようにと勉強するのが日課になり
気づいた時には学校でトップの成績になり、「校長賞」なるものまでいただけました。

それまでは勉強することが苦手だったのに、誰かのためになる、と分かってからは日曜日まで勉強するようになったことに自分でも驚いています。


訪問治療を始めたきっかけ

整骨院での修行を卒業して間もなく、知り合いのデイサービスで機能訓練指導員として勤務をはじめました。
今までは「鍼灸整骨院でつらい症状を抱えた患者様を救いたい」という思いで仕事に当たっていましたがデイサービスに足を踏み入れてみて、リハビリをしている患者様と話しているうちに「整骨院に通っていたけど、いけなくなっていた」
「外にでれないから家で一人で痛みに耐えている」といった実際の声を聞いて、今まで自分がみてきた「狭い世界」の壁は壊れました。
「本当に困っている患者様は治療院に通うことが難しいのだ」という患者様目線の考えに「なんでこんなことに気がつかなかったのか」と自分が情けなくなり。。。

「落ち込んでいても仕方がない。こうしている今もつらい痛みに耐えている患者様がいるのだ!」そこからすぐに、周りの先生に聞きながら訪問治療のやり方を調べて、訪問専門の鍼灸マッサージ院として開業しました。


訪問治療をはじめてみて・・・

実際、訪問治療をはじめてみると、整骨院に来ていた患者様よりもかなり状態が悪化している患者様が多く平均年齢も高めになったきてしまいます。

そういった状態が悪化している患者様の施術は
マッサージで痛みをとるだけでは長期的な目で見ると効果は薄い!!結局、もとに戻ってしまう!!

でも・・・?「年には勝てない」「悪くなっているわけではない」「痛みを抑えるのはその時だけ」!?!?!?

こんな言い訳に逃げることはできませんでした。

マッサージだけでは体に筋肉はつきません。
普段の生活に変わりはありません。

ではどうすれば?どうすれば患者様のこれからの生活を楽に、楽しく快適に充実したものにできるのか?

答えは簡単でした。多くの患者様には使えていない「筋肉」があります。
筋肉はあるのに使えていません。
「使い方を忘れてしまっている。」そのことも忘れている。

これでは使えるはずもありません。

なので・・・?
その筋肉を見極め、オーダーメイドの運動療法を取り入れ、手取り足取りの指導で実行してもらう。もちろん、マッサージで動きやすい土台を作ってからです。

一度思い出すと案外使えるようになるもので、忘れていた筋肉を正しく使えるようになるだけで
今までの悪い生活(動き)からいい生活(動き)へと変わっていきます。


今までとは生活動作が変わり、毎日が充実したものになってもらう。
これこそが目指していた治療なのだと今では思います。

「立ち上がりが」「台所へ行く動きが」「トイレに行くまでが」・・・

変わった!!

これを多くの方に実感してほしい。
感動してほしい。まだまだ動けるんですよ。と伝えたい。

今でも一人で毎日痛みに耐えながら、さみしく、出歩くこともできずにじっと助けを待っている患者様がたくさんいてます。
その患者様を救うのが自分の使命だと思い、日々精進して参ります。



開業して間もない頃の話です。

開業したて。保険の使い方もわからず毎回電話で確認。これでいけてるのかな?なんて初歩の状態のときに受け持っていた患者さん。

バリバリの仕事人から退職して一人暮らし。
最初こそ警戒心があったものの、治療とコミュニケーションを通してすぐに「心に抱える不安」を打ち明けてくれる仲になりました。

実は「うつ」の症状もあり、「死にたい。」と言ったことがあったので
「普段外に出ないから、気持ちも落ち込みますよね。今日は外へ行きましょ!」と
車いすに乗せて散歩に連れ出し。
昔通っていた街並みを思い出を聞きながらぶらぶら散歩。
帰ってきたころにはすっかり元気になって「先生あんなこと言ってごめん。元気でた!また外に連れてって!!」と笑顔が。

これをきっかけに絆がさらに深まったような気がし、リハビリのやる気もでたようで、痛みの緩和と運動療法に効果も出やすくなりました。



「寂しいなぁ。。。」
普段は威厳のある人柄の彼が時々こぼしていた言葉です。
治療終わり、僕が帰ろうするとボソッと言うときがありました。
「また来ますね!次は木曜日に来ますから、しっかり足動かしといてね!」
すると「はいよっ!良くなるために言うこと聞きます!」
というやり取りが定番でした。

ある時には「先生が来るの楽しみにしてた!今日なんかデイサービスから早めに帰ってきた!」と。
「デイサービスからはよ帰ってきても僕が来る時間はいつも通りやけどねっ(笑)」
こう言いながらも
「よし!がんばろう!」と励まされるような、やりがいを伝えてくれるような気がしていました。

親族が遠方に住んでいたので、家のことが手伝えずにやむなく施設に入居するときも、「マッサージの先生が今みたいに来てくれるところじゃないといかない!」と入居条件の第一に入れてくれるほど気に入ってくれていたようでした。


そんな彼が入院したのは突然のこと。
施設からそのまま病院へ搬送。意識が回復せず2週間後にはお亡くなりになられました。

遠方の息子さんとは往診治療中にも2回ほど様子を見に来られていたので面識があり。
ただの担当マッサージ師がどうこう言えるものではないかなと迷いながらも
ことが落ち着いた頃を見計らって電話。

「あぁ、コマタさん!父の面倒を見てくださって、ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました。」

「いえ、とんでもないです。僕の方が勝手に励まされてました。むしろ、もっとやってあげれることはあったんじゃないか?と今になって思ってます。」

「そんなことないですよ!コマタさんは本当によくやってくれてました。実は古俣さんが来る前は父はもっとひどい鬱になってまして。。。
治療を受けてる父を見て、あんなに笑顔で楽しそうに話す父を見たのは久しぶりでした。」

「コマタさんは父にとってほんとに心の支えになっていたようです。父にとって誰よりも素晴らしい先生だと思います。」

僕の中の思い出とつながって、目頭が熱くなってきたので挨拶もそこそこに電話を切りました。


自分の治療が本当に誰かの役に立っていたのだと教えていただいたような気がします。無駄ではなかったのだと。


今でも
当時の経験と
息子さんがかけてくれた言葉を胸に
一人で苦しんでいる患者さんのためにはしりまわっています。



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